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母が死んでから失語症にかかった。

身体的な症状としてのそれではなく、精神的な意味での。

あれだけ雄弁に、むしろ煩わしいほどに訴えかけてきたこころが、ぱったりと語ることを止めた。

喩えるなら大凪。

行くことも戻ることもできずに、留まりながら腐臭を放つ風だ。


なぜならば、喪失の悲しみ。

10年のうちに3人の身内が亡くなった。

その明らかな不幸は、どんな無配慮のひとにも見舞いのことばをひとつふたつ述べさせるには十分だろう。


喪失は二重だ。

母の肉体の死によって、無意識裡にすがろうとしていた「母なるもの」を得る機会が永遠に失われた。

悲しみはむしろ後者のほうが大きい。


けれども得たものもある。

現実の母に脅かされなくなったことで、その呪いにも似た激しい憤りから解放されることができた。

解放されたわたしはまず、ストッキングに包んだ脚をさらすのもはばからずスカートを履き、朝の二十分間を鏡の前で過ごして化粧を施すことを自らに許した。

売女と罵るひとはもういない。

紅を引くことにより、社会との関係性も否応なく変わっていく。


わたしのこころはこの3年のうちに沈み、浮かび、波に揉まれるうちについに溺れ死んでしまった。

死者は語らない。

ふたたび生がもたらされるまでは。

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post time: 12:49, category: 日常, author: ナカムラユエ

わたしはあまり物事について後悔をしない性質なのだが、

なぜ十代のうちに死んでしまわなかったのか。

どうせなんの役に立たない人生、未練たらしくなぜ生きることを選んだのか。

ひどい後悔に苛まれている。
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post time: 00:37, category: 日常, author: ナカムラユエ

たれからか憎しみの目を向けられる。
どこへいっても、どう振る舞っていてもかならずひとりはわたしを憎む。

これは血だ、とわたしはおもう。

わたしが実の父親を憎むように、かれもわたしを憎むのだ。
逃れられない定めとして。
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post time: 20:36, category: 日常, author: ナカムラユエ

脳神経系の難病を患い、認知症状をはじめとする身体の各機能低下が見えはじめてきた母をひとり在宅介護をしていた2年前のこと。毎日が文字どおりの修羅場だった。

家の中ではまぼろしの泥棒とつかみ合いの喧嘩をはじめ、いくら禁止をしても自動車で外出、民家に立ち入り警察沙汰にも。家事炊事はもちろん、お風呂介助、トイレ介助、見守り。早朝覚醒する母に合わせれば平均睡眠時間は3時間で、そのうえ会社にも出勤しなければならない。60手前とはいえ、若い頃からスポーツで鍛えてきたからだは、寝不足と過労のわたしよりを易々と凌駕する。

肉体的な限界は言うまでもなく、ここから逃げ出し何食わぬ顔で他所で暮らす母の夫への恨みを鬱積させていった日々だった。

病状にしても環境にしてもあすがきょうよりもよくなることは絶対に、ない。そう確信したわたしはみずからにひとつのルールを課した。

−あすへの希望は抱かない。きょうを終えたことに感謝だけする。

母は死んだが、このルールはいまもわたしの中に生きている。どのようにしても幸福で安楽な人生を望めないわたしが生き延びるための、これは覚悟だ。
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post time: 00:37, category: 日常, author: ナカムラユエ

さっきまで読んでいた小説の主人公の名前は「マリ」で、それはわたしの名前ではないけれど、名前を呼ばれたマリが振り返る、その顔はわたしによく似ていた。

お父さんのいないマリ、ホテルのお手伝いばかりさせられて友だちのいないマリ、怒鳴られてばかりのマリ、いつでもお母さんの影におびえるマリ、孤独な翻訳家に寄り添うマリ。

みんな身勝手にマリを傷つけていったけれど、マリはちゃんと愛されていた。

お父さんはお酒を飲んでもマリを怖がらせなかったし、お母さんは毎朝髪を結い上げマリの容姿を褒めたし、翻訳家は翻訳家にしかできない方法でマリを愛撫した。

すこしずつ、ふつう、から外れていってしまっていただけで。

愛されたいように愛されるとはかくも難しいものです。
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post time: 19:58, category: 日常, author: ナカムラユエ

48時間、わたしはベッドに横たわる肉塊となった。

もしたれかその姿を目撃したひとがいるとして、そうしたらフランシス・ベーコンの抽象画と錯誤するような。

輪郭は解け、シーツにまみれ、なにも思索せず、こんこんと眠る。

眠っている間にも、ほかの善良なる労働者たちとともに時間は正しく平等に流れる。

生きていてもなにも生産性のあるものごとを成し遂げられない肉塊は腐臭が色濃くなっていくのをただ待つばかり。
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post time: 16:02, category: 日常, author: ナカムラユエ

母が死んでから、わたしのこころはことばを持たなくなった。

よい方にとらえれば、これは朗報だ。
こころなど、悲観的な感情を嵐のように巻き起こすだけの存在なのだから。

けれどもわたしはちっともよい気分にはなれない。
むしろ息がつまるような思いがする。

この凪には腐臭がただよう。
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post time: 23:00, category: 日常, author: ナカムラユエ