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母が死んでから失語症にかかった。
身体的な症状としてのそれではなく、精神的な意味での。
あれだけ雄弁に、むしろ煩わしいほどに訴えかけてきたこころが、ぱったりと語ることを止めた。
喩えるなら大凪。
行くことも戻ることもできずに、留まりながら腐臭を放つ風だ。
なぜならば、喪失の悲しみ。
10年のうちに3人の身内が亡くなった。
その明らかな不幸は、どんな無配慮のひとにも見舞いのことばをひとつふたつ述べさせるには十分だろう。
喪失は二重だ。
母の肉体の死によって、無意識裡にすがろうとしていた「母なるもの」を得る機会が永遠に失われた。
悲しみはむしろ後者のほうが大きい。
けれども得たものもある。
現実の母に脅かされなくなったことで、その呪いにも似た激しい憤りから解放されることができた。
解放されたわたしはまず、ストッキングに包んだ脚をさらすのもはばからずスカートを履き、朝の二十分間を鏡の前で過ごして化粧を施すことを自らに許した。
売女と罵るひとはもういない。
紅を引くことにより、社会との関係性も否応なく変わっていく。
わたしのこころはこの3年のうちに沈み、浮かび、波に揉まれるうちについに溺れ死んでしまった。
死者は語らない。
ふたたび生がもたらされるまでは。