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中高の6年間、担任からは教師になるよう勧められましたが、大学に進んだわたしは教職課程の履修を考えたことは一度もありませんでした。なぜならば学校がきらいだからです。正確にいえば教師というおとなと、クラスメイトという子どもがきらいなのです。みずから学ぶこともひとに教えることもきらいではありません。

世の中のたいていのことは見てきたような冷めた顔をし、斜に構えておとなを小馬鹿にするいけすかない中学生となったわたしを、たいていの教師は珍獣でも扱うようなかんじで社会問題の議論をふっかけてきたり、あるいはまったく無視して授業をすすめていきました。けれどもひとり、部活の顧問だけはちがっていました。

――あいつはぜったい、将来ろくでもない人間になる。

クラスメイトにそう伝えたと言います。

彼の「指導」はこうです。とにかく怒鳴ること。廊下を走った、課題を忘れた、授業態度が生意気だ、そういったことを他の教師から聞くたびに、校内放送でわたしを呼びつけ怒鳴りつけます。昼休みは職員室に呼び出されるために存在しました。それは学年が上がるにつれてエスカレートしていきました。後輩たちが廊下を走り、課題を忘れ、生意気な授業態度をとるたびにわたしが呼び出されるようになったのです。このころになるともはや部員もクラスメイトもなく、学校中が密告者であり敵となりました。さらに悪いことには、部活ばかりで勉強をしないといって家でも実母がわたしを責めるようになりました。

唯一気が休まる場所は進学塾でした。ここでは成績という公平な物差しで接してくれます。おなじ学校の生徒はひとりもいなかったにもかかわらず、どういうわけかわたしが塾で他校の男子生徒とちゃらちゃら遊んでいるといううわさを耳にした教師は、塾とはべつにまいにち3時間の家庭学習を義務付けノートの提出を課しました。夜10時に帰宅し、どんなにいそいでも終わるのは夜2時です。そこからお風呂に入り寝て、翌朝6時に起きて部活の朝練習に向かわなければなりません。休み時間にクラスメイトと語らうことなく本を読んでいるのも問題となりました。授業時間以外の読書が禁止されたため、わたしは実質的にいっさいの読書の機会を奪われました。年中胃がきしみ、中学生にして胃薬を常用、定められた量では効果を得ることはできませんでした。給食はほとんどひとにあげました。夜ごと悪夢をみました。悪夢は卒業後も十五年ほど見つづけました。

おとなになって振り返ってみれば、教師はひとまえで一人を怒鳴ることによって全体の綱紀粛正を図っていたのだとわかります。たしかに綱紀粛正にはなっていたのかもしれません。学校創立以来はじめて関東大会で1位になり、小規模校の奇跡といって地元新聞の文化欄に大きく取り上げられることになりましたから。

そしてわたしは教師の当初の予想通りろくでもない人間に成り果てることができました。男性に怯えて精神科に十数年も通い、休職と転職を繰り返して低賃金に甘んじるしかなく、自殺だけを目標に生きるような未婚の、子なしの、人間のクズです。

教師はいまも地元の熱心な教育者として連盟の理事に名を連ねています。
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post time: 15:17, category: わたし(たち)の記憶, author: n.y.

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