子どものころから死にたい病に取り憑かれていたわたしは、けれどもあまりに子どものうちに死ぬと親の育て方だのしつけだのの問題にすり替えられてしまって個人の尊厳をもって死ねるのは30歳くらいになってからだと感づいていたわたしは、30歳まで死ぬのは延期しようと心に決めました。
29歳の終わりの日、つまりあと数時間で死んでも構わないとみずからを許したその日、結果的には休職ばかりでほとんど出社しなかった会社の飲み会で愛想笑いを浮かべていたせいで頬のあたりに妙な引き攣りを感じながら、アパートにつづく道の真ん中でわたしは号泣したのでした。
それはもう正真正銘の号泣で、ふつうおとなが泣くときには泣いているじぶんを俯瞰するもうひとりのじぶんがいるものですけど、そんなものはいなくて、それどころか世界にはまったくわたし以外には存在しないというか、世界そのものがわたしであるというくらいにわあわあと泣いたのでした。
きょうまでよく生きましたと。
そのあとの一年はあんまり覚えていませんが、傘を買ったことだけは覚えています。まだ一度も実物を見たことがないひとが描いた虹のような柄の傘で、雨の日に見ると、そのまだ虹を見たことのないひとの虹への理想だとか希望だとかいうようなものがうっすらと感じられるのです。
その次の年には万年筆を買いました。きのうが指の間からさらさらとこぼれてしまうようなまいにちにささやかな抵抗を試みるための日記をつける万年筆です。ごくまれに数週間先の未来を書きつけるけれどほかの用途には用いません。
その次の年は、どうやら死にそびれてしまったらしいというショックでなかなか思い浮かばず、11ヶ月遅れてやっと化粧ポーチを買いました。まえのものは一部が溶けかけていましたから、期日だけでなく必要にも迫られていました。
そしてことしは口紅を買いました。勇気を出して髪をひっつめに結った肌のつるんとした美容部員に相談し見たててもらいました。ほんとうはたったいま若い恋人の生き血をぺろぺろと舐めてきたかのような真っ赤な口紅がよかったのですが、毎朝妖婦になりきるのは難しいので、適正な範囲の自己暗示がかけられる色にしました。
こうやってまいとしものがまわりにひとつ増えていくことで、わたしはまた一年生きられたことを再確認するのです。
次はどんな素敵が増えるんでしょうね。
ありがとうございます。
口紅が映える笑顔でいられるように過ごしていきたいとおもいます。
そんな風にして年をとっていければ。
来年はたくさん歩ける靴なんて、どうでしょう?
時間を未来へと再構築していただき、ありがとうございます。
物事には両面あるのに、もう片方のことを忘れてしまうのは
わたしの悪いくせですね。