脳神経系の難病を患い、認知症状をはじめとする身体の各機能低下が見えはじめてきた母をひとり在宅介護をしていた2年前のこと。毎日が文字どおりの修羅場だった。
家の中ではまぼろしの泥棒とつかみ合いの喧嘩をはじめ、いくら禁止をしても自動車で外出、民家に立ち入り警察沙汰にも。家事炊事はもちろん、お風呂介助、トイレ介助、見守り。早朝覚醒する母に合わせれば平均睡眠時間は3時間で、そのうえ会社にも出勤しなければならない。60手前とはいえ、若い頃からスポーツで鍛えてきたからだは、寝不足と過労のわたしよりを易々と凌駕する。
肉体的な限界は言うまでもなく、ここから逃げ出し何食わぬ顔で他所で暮らす母の夫への恨みを鬱積させていった日々だった。
病状にしても環境にしてもあすがきょうよりもよくなることは絶対に、ない。そう確信したわたしはみずからにひとつのルールを課した。
−あすへの希望は抱かない。きょうを終えたことに感謝だけする。
母は死んだが、このルールはいまもわたしの中に生きている。どのようにしても幸福で安楽な人生を望めないわたしが生き延びるための、これは覚悟だ。